1999年12月、栃木県のある山林で男性の異様な遺体が発見された。
解剖の結果、絞殺されていた。異様と言ったのは、遺体表皮の約80%強が重度(三度)の火傷で覆われていたことである。さらに陰毛は剃られ、陰茎の先端にまで重度の火傷は及んでいた。肝細胞は一部変質し、あきらかに循環器不全の症状を呈していたという・・・
あまりにも残忍で信じられないような事件
犯人は絶対に許せない!
警察の対応もひどすぎる!!
悪いことを平気でやるような人間はこの世から抹殺されてほしい・・・
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・栃木リンチ事件
1999年9月下旬、萩原克彦は自分に暴力団関係の知り合いがいることをダシに、梅沢昭博に金を要求した。梅沢は消費者金融で借金をし萩原に20万円を 渡す。また、同じように萩原は村上博紀にも金を要求する。暴力団を恐れ2回にわたり50万円を渡した梅沢と、自宅から数十万円をもちだしていた 村上は、「もう勘弁してください」と萩原に泣きついた。すると、萩原は「知り合いから金の借りられそうな奴を探し出してこい」と梅沢、村上に 命令した
萩原の要求に対し、梅沢が目をつけたのは同期入社の須藤正和さんだった。梅沢が須藤さんを選んだのは須藤さんが大人しい性格だったためである。 1999年9月29日、梅沢は須藤さんをコンビニに呼び出し、萩原を紹介した。萩原は須藤さんに銀行口座から7万円を引き出させ、その金で3人は パチンコや飲みに出かけた。須藤さんもつき合わされ、一緒にホテルに止めさせられた。この日から、須藤さんは帰寮を許されず、頭髪を 剃り上げられたり、眉を剃られる等の暴行を受けるようになった。
10月4日、須藤さんの両親のもとに会社から6日間も無断欠勤が続いていると連絡が入った。この時、須藤さんの両親は携帯電話に連絡を とり、注意をした。この日の夜勤には須藤さんは出勤している。
10月12日から、須藤さんの無断欠勤は再び続くようになる。この時点で須藤さんが消費者金融や友人たちに借りさせられた金額は300万 円近くになっていた。
10月18日、1週間続いた無断欠勤を不審に思った上司が部下の社員に尋ねると、「須藤さんに金を貸した」と言う社員が 現れた。事の重大さに気づいた上司は、須藤さんの両親に連絡。上司と須藤さんの母親は日産自動車栃木工場を管轄する 石橋警察署に赴き、捜索願いを出した。
10月19日、須藤さんの父親が石橋警察署に相談に行くが、対応した生活安全課の巡査部長は、「息子さんの場合は自分が悪い。 金を借り歩いているというが、どうせ他の人間にも分け与えて、おもしろおかしくあそんどるんだろう。警察は事件にならんと動けない」と 返答しただけであった。
10月22日、父親が相談に行くと、石橋警察署の巡査部長は3度目の訪問にうんざりした顔で 「またか。今日はなにしにきたんだ」と言った。 須藤さんの父親が息子の背後の男2人の存在と莫大な借金から、監禁されているのかもと相談するが、 「憶測でものを言うな!あんたの息子は麻薬でもやってるのとちがうか」と自身が憶測で言い放ったという。
10月27日、同級生から2回にわけて借りた31万を須藤さんが返しにくる日だった。返済にやってくる須藤さんを一目見ようと、須藤さんの父親は離れたところで待機していた。 これはこの同級生が「親には絶対言わないでくれ」と須藤さんに言われており、「約束をやぶったら逆恨みが怖い」という同級生に迷惑をかけるわけにはいかないためであった。 午後9時頃、須藤さんと3人が車でやってくるが、父親は須藤さんを発見することができなかった。 この時の数十メートル隔てた距離が、親子最後の接近だった。この時は全額返済ではなく3万円のみの返済だったが、 この同級生が須藤さんの右手に包帯がまかれていたことを父親に伝えた。
11月2日、この同級生の父親から、須藤さんが同級生に金を借りに来た際に3人が乗っていた車のナンバーを控えておりそのメモを 渡したいという連絡が入った。同級生の父親に促され、須藤さんの父親は石橋警察署に問い合わせを行った。応対したのは、例の生活安全課の巡査部長であったが、 車の割り出しはすぐに行われ、持ち主が村上である事がわかった。
11月30日、須藤さんの両親は梅沢、村上の保護者に直談判する為、梅沢の母親、村上の両親とファミリーレストランに集まり、須藤さんの父親は分かっている詳細を話、頭を下げて 協力を求めた。この時、村上の父親がもう一人は萩原でないかと話した。須藤さんの父親は梅沢と村上の親に協力を求め、梅沢と村上の親は同意し、その足で宇都宮東警察署へ向かったが、 須藤さんの捜索願いが石橋署で出ている為、石橋署が担当と理由から受け付けてもらえなかった。
その為、3家族は石橋警察署に向かったが、またも生活安全課の巡査部長は動こうしなかった。この時、須藤さんから電話が入り、巡査部長が須藤さんの両親の友人を 装い須藤さんの状況を探り出そうとしたが、少年のうちの1人が電話を替わり、「あんた誰だ」と尋ねられた際に、この巡査部長は「誰だと?石橋の警察だ」と 答えてしまう。その瞬間、電話は切れ、巡査部長は「あ、切れちゃった」と携帯電話を両親に返した。
11月半ば頃から萩原は「須藤さんを殺しちまおう」と口癖のように言うようになっており、梅沢と村上はこの時は同意せず、萩原をなだめるような態度をとっていたが、巡査部長が警察官と名乗った事で、3人は激しく動揺し、 事件が発覚しそうなので、須藤さんを殺して埋めてしまおう」と考える。12月1日、3人は鬼怒川の河川敷に集まり、 萩原が須藤さん殺害を提案する。この時は3人の他に都内でであった現役高校生Dもいたが、Dはこの会話には参加していない。 萩原は梅沢と村上に「明日までに決めておけ」と言った後、宇都宮市内のガールフレンドのところに遊びに行った。
12月2日、午後2時過ぎ、萩原,梅沢,村上の3人は市貝町の山中で穴を掘り始めた。Dはこの穴掘り作業を車の中から見ていたが、やがてDも穴掘り作業を手伝わされた。セメントの準備 ができると、梅沢はDからネクタイを受け取った。ネクタイを選んだのは「あとで焼却すれば証拠は残らない」との理由で萩原が提案したものである。須藤さんは全裸になり、地面に正座 をさせられ、梅沢と村上が須藤さんの両脇に立ち、左右から須藤さんの首をネクタイで絞めつけた。首を絞められたことで須藤さんは失禁し、血を吐くが、それにビビった村上は怖くなりネクタイを 放してしまうが、梅沢は村上の持っていた部分をとり、背後から絞め続け須藤さんを殺害した。殺害後、須藤さんの遺体をコンクリ詰めにして、穴に埋めた4人は、宇都宮市内のホテルに宿泊した。 ビールで乾杯しながら、「15年間なんとか逃げ切ろう」と話したという。
12月3日、4人は須藤さんが生きている様に見せかける為、須藤さんの携帯電話から両親に電話をかけている。折り返し、須藤さんの父親は電話をかけているが、梅沢が鼻をつまみ、須藤さんの 声色を真似て短いやり取りを交わした。また、この日、須藤さんの両親と梅沢の母親が萩原宅を訪れている。村上の両親は須藤さん捜索を疎ましく思っていたのに対して、梅沢の母親は協力的な態度をとっていた。 この時に応対した萩原の父親は「たしかにうちの子は悪い。殺してやろうかとも思った」と言い、警察に提出するための書類を見せられると 「なるほど。事件になったら、さぞかし役に立つでしょうな」と他人事のように語っていた。
12月4日、萩原は自宅に戻り、残る3人は東京に向かった。自宅にガールフレンドを呼び寄せた萩原は両親と4人で夕食をとっていた。現職の警察官で、須藤さんの失踪に関わっていることを すでに知っていた萩原の父親はこ晩餐で息子になにも問わなかった。しかし、同日港区の自宅に戻ったDが母親に事件のことを打ち明け、三田署に出頭したことにより事件が発覚した。 事件が終結するまで、萩原,梅沢,村上は須藤さんを2ヶ月以上監禁し728万円もの金を巻き上げていた。
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