1990年11月13日、下校途中の少女をナイフを突き付けて脅し、車のトランクに押し込め、自宅に連れ込む。部屋に連れ込むと数十回に渡り少女を殴打した。「出られないぞ」「俺の言うことを守れ」と言いつづけ、ナイフを少女の腹部に突き付けて「これを刺してみるか」「山に埋めてやる」などと脅した。逃げられないように佐藤の外出中は少女を縛りつけていた。
佐藤は自分が出かける時には少女を厳重に縛(しば)って逃げられないようにし、また、1階の母親に気づかれないよう、大きな声を立てるなと少女に厳命した。
少女が泣いたり反抗したりすれば容赦なく顔や頭を殴った。常にベッドの上にいるように指示し、部屋からは一歩も出さなかった。風呂にも入らせず、トイレにも行かせず、大小便はビニール袋の中にさせた。後に救出されるまで、少女がシャワーを浴びたのは、一回だけだった。
母親に買いに行かせたスタンガンを少女の身体に押し当てて放電したこともある。暴行を受けている時に悲鳴を上げるとまた殴られるので、少女は声を上げないように必死に耐えた。
また、競馬番組を録画しておくように命じられた時、少女がそれを忘れていたということで、激しく殴られたこともある。
着替えは1年か2年ごとで、服がボロボロになってようやく着替えを許された。着替えの服は、母親に買いに行かせるわけにはいかなかったので、佐藤が自分で万引きして調達していた。
食べ物は、最初の頃は母親が作ってくれた夜食を食べさせていたが、だんだんとコンビニのおにぎりしか食べさせなくなっていった。そのおにぎりも、最初は1日2個食べさせていたものを後に1日1個だけにした。
こういった生活を何年も強要した結果、少女は誘拐された当時、46kgあった体重が38kgにまで減った。また、ほとんど歩くこともなかったので脚の筋力は低下し、骨も十分に発育せず、自力で歩くことが困難な身体となっていったという・・・
犯人の佐藤宣行は2003年7月に懲役14年の刑が確定している。
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